一見の価値あり! 信長が築いた石垣復元

 4月1日、小牧山歴史館の南側大手道に信長が築いた石垣が復元され、お披露目となりました。
元々の岩盤を削り、その上に積まれていた石垣を復元しました。この切り立った粗削りな岩盤は、加工された当時のままで、岩盤を含めた石垣全体の高さはおよそ4メートル。高い建物などに驚かない現代人が見ても強烈な印象、圧倒的な迫力があり、見せる城を築いた信長の強い気持ちが感じられます。
 すでにご覧になった人もいると思いますが、まだと言う人はぜひ、見に行ってくださいね。

さて、簡単に小牧山城を紹介すると、1563年、信長は美濃方面を一望できる小牧山に城を築き、清須城から移り住み、1567年には岐阜城(現在の岐阜市の金華山)に住まいを移しました。その後、小牧・長久手の合戦では、徳川家康が小牧山城に本陣を置き、土塁、空堀など改修を行い、強固な陣地が敷かれました。

今でこそ、厳重に管理された場所となった小牧山ですが、4,50年前までは、小牧山は子どもたちの格好の遊び場でありました。お堀は隠れ家であり秘密基地、うっそうと茂る木々は木登り、垂れさがる枝はターザンロープのように空中移動と、大自然を満喫する大胆な遊び場でした。また、ご存じの人も多いと思いますが、小牧中学校や市役所、消防署なども小牧山の中にありました。

当時から小牧・長久手の合戦では徳川家康が陣を張ったことは知られていましたので、どちらかと言うと、徳川家康の方が小牧市民にとっては身近な存在だったと思われます。織田信長と言えば、清須城から岐阜城へ移る際の小規模な城=小牧山城として使われたと言われる程度でした。

 では、いつから小牧山が、織田信長歴史の大舞台になったのだろうか…。
2004(平成16)年、史跡・小牧山主郭地区第1次試掘調査が開始されました。その調査で、小牧・長久手の合戦で徳川家康が築いた遺構を調査し、復元・整備をする計画だったそうです。しかし、「小牧山山頂から信長が築いたとされる石垣が出土した」というニュースが発表されると、歴史学者や考古学者たちをはじめ、歴史マニアからも大注目の場所になりました。また、2010(平成22)年の発掘調査では、「佐久間」という墨書きのある石垣石材を確認しています。
小牧山城では2004年の発掘調査以来、数々の発掘調査がなされ、想定を上回るさまざまな発見があり、現在もまだ、新たな歴史の発見が続きそうです。

 三英傑がやってきて、時期は違うにせよ、生活した場所は、小牧山城だけということらしい。灯台下暗しと言いますが、この復元された石垣を間近でみて、小牧山城の素晴らしさを再認識して、皆に自慢してみてはいかがでしょうか!

【楽しみ方ポイント】
まずは、「れきしるこまき」に行って、現在開催中(~6月11日(火)まで)の企画展「令和によみがえれの信長の城 令和6年度小牧山城石垣復元パネル展」を見学してから山頂の復元された石垣を見るのがおすすめ。小牧山城を見た後は、街中に移動して、ほていやの「たこ焼き」、ヤオカネの「フレッシュジュース」、モチのロンの「サンドウィッチ」などグルメに舌鼓を打ってみれば、最高の1日になるはず!
お店の詳しい情報は、「こまき街なかMAP」を見てください。