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#2 存在は知っているけれど、 何かは分からない…

まなび創造館の5階にコンサートや講演会などが開かれるホール・あさひホールがあることはよく知られていることです。が、どうして「あさひホール」という名前が付けられたのかを知っている人は少ないかも。
尾張の名家・江崎家の九世・江崎健三氏が昭和12年、宅地跡地に公会堂を建設し、「小牧町公会堂朝日会館」と名付け、小牧町に寄付。小牧町はその篤志にむくいるために頌徳碑(写真左)を建設しました。公会堂は、小牧駅東土地区画整理事業により取り壊すことになりましたが、江崎氏の思いを無駄にすることなく、現在のラピオ5階、まなび創造館に造るホールの名称を「あさひホール」として残すと共に江崎家の紋章をホールの入口に設置しました。また、寄付した当時に建てられた頌徳碑と共に記念碑を造りました。現在、小牧一丁目さくら大栄ビル北東角にひっそりと佇んでいます。

参考資料:片葉の芦~江家家史~

#1 存在は知っているけれど、 何かは分からない…

 小牧駅前、小牧ガスビル南東に石垣で囲われ、木々に覆われた場所があります。石段を7、8段上ると立派な石碑が建っています。
 この碑は「江崎善左衛門頌徳碑」。皆さん知っていましたか?江崎善左衛門という人は、入鹿六人衆の1人で、入鹿池を築造したり、木津用水を造りあげたりして新田開発に多大な貢献をした人だそうです。この碑は、昭和33年、子孫にあたる江崎庸三が、後世のためにとこの碑を建てました。石碑の題字は、尾張徳川家19代当主・徳川義親が書いたそうですが、現在はほとんど読めません。
 ちなみに頌徳碑とは「しょうとくひ」と読み、偉業を成し遂げるなど徳のある人をたたえる碑のことを言います。

参考資料:小牧叢書13 小牧の石碑

 この碑の横にある松の木は「駒つなぎの松」と言われ、小牧・長久手の合戦のとき、徳川家康の家臣が馬をつないだと言われています。